吉田地車解説


区 域 吉田区の区域は現在の神戸市東灘区住吉本町1丁目、住吉東町1・2・3・4・5丁目、
住吉宮町3・4丁目各町の一部地域となっています。概略地図はこちらです。
歴 史
製作時期は、幕末から明治初期にかけてと言われており昭和6年に大阪の
河内方面から購入したものです。屋根裏には昭和6年の改造工事の日付が
明記されています。大工は大石巳代吉でした。

平成8年に土呂台、土呂幕の取替えを行っています。このときの大工は
平間利夫です。

彫り師は二代目辻友(辻田友次郎)と言われています。(これには諸説があります。)
飾り幕
見送り幕 (写真なし)神功皇后応神天皇平産す
前屋根
拝懸魚:朱雀 隣懸魚:孔雀 車板:黄石と張良
後屋根
拝懸魚:朱雀 隣懸魚:松に鶴 車板:素盞鳴尊大蛇退治
土呂幕

土呂台

土呂幕:海幸彦・山幸彦の場面 土呂台:波濤に玄武
せり出し
舞  台

この地車の特徴は舞台を前方にせり出すことが出来ることです。
昔はこの舞台の上で踊りを披露していたこともあるそうです。
吉田区
だんじり
年  表
住吉の他地区と同様、江戸時代後半にはだんじりを曳いていたと
考えられます。子供だんじりも持っていました。

しかし祭りで喧嘩が絶えなかったなどの理由で明治37年3月3日付けで
住吉村役場より、だんじりの運行を禁止され仕方なく吉田区のだんじりは
売却されてしまいました。

明治の侠客「会津の小鉄」が引き綱を握ったことで知られる現在のだんじりは、
幕末に作られました。(一説では天保年間1840年頃か?)

昭和6年大阪、河内方面より購入しました。最初は牛に曳かせて
途中から消防自動車(消防団)で引っ張ってきました。大工棟梁・
大石巳代吉、彫り物師・川原啓秀一門によって大改修され、屋根が
高いことから、柱を1尺(約33cm)短くしました。


昭和6年11月1日 竣工式の写真です。

昭和16年 第二次大戦のため中断しました。
戦火が激しくなり、現在の吉田会館の北隣りにあっただんじり小屋
から住吉川の川岸へだんじりを疎開させました。
昭和24年5月12日・13日 戦後初めての宮入をしました。
昭和37年から交通事情の悪化などにより祭りを中断しました。
昭和46年5月4日・5日 神社境内に建築された合同地車庫に納める
為、10年振りに地曳き、宮入りしました。
昭和47年から49年頃まで車庫前にて飾り付け展示し、年に依り、
境内で練り行事を行いました。
昭和50年頃より、徐々に町曳き・宮入が復活しました。
平成2年に飾り金具を新調した際に撮影した写真はこちらです。


平成2年11月12日奉祝だんじりパレードに参加しました。(平成のご大典)
平成5年6月9日慶祝だんじりパレードに参加しました。(皇太子殿下ご成婚)
平成7年 阪神淡路大震災により中止を余儀なくされました。
平成8年大工棟梁平間利夫によって、平成の大修理を行いました。
土呂台の取替え(波濤に玄武)等・彫り物は井波の中山慶春です。
以前の土呂台(波に兎)は神社拝殿に納められています。
(文中敬称略)

お願い
吉田区のだんじり・祭りに関しての資料・古い写真・8ミリフイルムなど、探しております。
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